図らずも大仏シリーズが続きますね。
ついでに、というにはかなり回り道ですが、所用で東京に行ったので初めて鎌倉を訪れました。
ずっと行ってみたいとは思っていたものの、毎年来る東京(模擬試験)は夏真っ盛り。暑さに弱い私には厳しい季節です。ということで、宿泊すると睡眠レポートを作ってくれるカプセルホテルで目覚めた私は、でもすぐに電車に乗って、とはならず、まずはランニングです。
のんびり迷子になっていると、チェックアウト時間が迫ってきたので電車で戻ります。
ということで、とりあえず鎌倉駅でロッカーに荷物を詰め込んで、人の流れに沿って歩き出します。基本的に、ひとりで行動するときは行き当たりばったり、無計画に移動します。到着がお昼前になったので、すごくにぎやかな通りで名物らしい生しらす丼をいただきました。
お腹を満たしたので、鶴岡八幡宮を目指します。
通りの入り口には鳥居が立っていたのと、すごい人出なのでお宮さんの正面かと思っていましたが、すみっこに出てきます。脇から境内へ。
おお、ここなのか!と思いながら観てまわります。公暁が事件を起こした場面の印象しかないですが、源頼朝ゆかりの鮮やかなお社なんですね。
階段を上って振り返ると、海までまっすぐに伸びる若宮大路が見える!というのは、記事を起こすためにこの大通りの名前を調べてわかったことで、気づかずに、脇の階段を降りてきてしまいました。行き当たりばったりですが、同じ道を引き返さないルールで歩いてまして…。
日差しは強いですが、海風と木陰で心地よく若宮大路を南下します。一段上がっているのはここが湿地だったから、とブラタモリでやってたなと思いだしながら。
鎌倉駅まで戻ってきたので、なんとなくそのまま歩いて高徳院を目指します。そんなにきつくはないですが坂を上り下り、トンネルを抜け、結構歩いてたどり着きました。
おお!これが銅造阿弥陀如来坐像!アタマが大きい!と心動かされつつも、なんだか日本じゃないみたいに感じてしまう。
私にとって、大仏とは奈良の銅造廬舎那仏座像で、柱の穴を通り抜けるところなんですが、なんとここでは胎内に入れるらしいじゃないですか!実は国宝なのも含めて、行き当たりばったりのおかげで味わえるびっくり。
そして丸い背中には窓!
ん?入れるの?採光窓?建築?と無理やりお話を転換します。
国宝のリストを見ると「彫刻」に分類されているんですけどね。
そこは置いておいても、国宝だから法第3条第1項第一号に該当して、建築物であっても建築基準法の適用は受けないけれど、土地に定着する工作物で、屋根及び柱若しくは壁に類する構造のものを有するし、胎内には説明文が掲示されているくらいなものだけど、継続的に使用されていますね。一般の参拝者がいつから入れるようになったのかもわかりませんが、この時から「建築物になった」という考え方もできますね。せっかくなので建築物っぽく確認してみましょう。
(建築物の事例はBontブログNo.010牛久大仏に掲載の「太陽の塔」もご覧ください)
まずは概要(わかるところだけ)。建築主は不明らしいです。
【2.住居表示】 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2-28
【3.都市計画区域及び準都市計画区域の内外の別等】
都市計画区域内(市街化調整区域)
【4.防火地域】 指定なし
【5.その他の区域、地域、地区又は街区】
第22条区域、宅地造成工事規制区域、第2種風致地区、歴史的風土特別保存地区(大仏・長谷観音特別保存地区)
【6.道路】
【イ.幅員】 10.00m(くらい?)
【ロ.敷地と接している部分の長さ】 100.00m(くらい?)
【7.敷地面積】
【ロ.用途地域等】 指定なし
【ハ.建築基準法第52条第1項及び第2項の規定による建築物の容積率】 80.00%
【ニ.建築基準法第53条第1項の規定による建築物の建蔽率】 40.00%
【8.主要用途】 寺院 (区分 08160)
【10.建築面積】
【イ.大仏全体】 20.00㎡(くらい?)
【11.延べ面積】
【イ.大仏全体】 20.00㎡(くらい?)
【13.建築物の高さ等】
【イ.最高の高さ】 13.35m
【ロ.階数】 地上 1 地下0
【ハ.構造】 銅造 一部 造
【ニ.建築基準法第56条第7項の規定による特例の適用の有無】 □有 ■無
【15.工事着手年月日】 建長4(1252)年 8月17日
【16.工事完了年月日】 文永元(1264)年 月 日(諸説あり)
以上、飛び飛びですが、確認申請書第三面ないし建築計画概要書第二面のように書いてみました。
とりあえず、銅造1階建て、20㎡(くらい?)で、単体規定上の用途は、う~ん、
「ご本尊」ですかね…。
当初は大仏殿があったみたいなんですけどね。いずれにしても法別表第1(い)欄に掲げる用途じゃないので、法第6条第1項第四号建築物ですよね。来年から三号かぁ…。ややこしいなぁ。
LVSはどうでしょう。ネット上の書き込み等による推定で、まるい背中にある窓の大きさは75㎝×80㎝×2か所くらい。ちなみに両開きの扉は享保21(1736)年に寄進されたとのこと。閉じることはないらしく、常時開放です。道には面していませんが、回廊から4m以上の離隔はあるので令第20条第2項第三号ロにより採光補正係数は1.0としますか。天井高は11mくらいあって、そこから80㎝だとご尊顔の内側で開口はありませんが、内装不燃なので…、
L:1.2㎡×1.0>20×1/20
V:1.2㎡>20×1/20
S:H12建告1436-四-ヘ-(5) ※令和6年4月1日から条ズレ
なので、適合してそうです。
銅は不燃(H12建告1400-十かな)なので法第22条もいけますね。
指定建築材料は四号特例で審査対象外ですが、一応確認しましょう。
当時、中国から輸入した宋銭を溶かした青銅を使っているんですよね。JISもJASも規格外でしょうが、当時の国際的な規格に適合すると思うので、ここは既存不適格で。
次に高さですが、隣地や道路からは十分に離れていて、高度地区、絶対高さの指定もなさそうです。ただ風致地区の建築等の行為は許可が必要で、許可基準は、高さについては8mだそうです。大仏殿の再建は厳しいですね。
だけど、建築基準法的には高さは適合。
最後に構造方法について。
銅造は、令第80条の2第二号に該当しますが、アルミ合金造のような構造方法を定める告示、たぶんないですよね…。骨組みのない、板状の組み合わせで計算って、どうにかしたらできるんでしょうけど。現場打ちの厚板重量鋳銅造は、大臣認定ですかね…。
さらにここでは、昭和34~36(1959~61)年の修理で辷り免震構造(台座との間にステンレス板が挟まれている)が採用されているようですから、四号でも構造審査は必要ですね。
台座は関東大震災で沈下したものを大正13~14(1924~25)年に修復したそうなので、この時期にコンクリートで造り、胎内へのルートもこの時に点検用に設けたのかな…。そこに触れた文献等は見つけていないので推測です。台座の外から階段で降りて、扉を抜けて胎内に入れます。この階段は横を向かないとすれ違えないですが、立派な体格の人も通っていたので、幅は75㎝くらいはあることにしておこう。
∴よって、ほぼ適合。
結局、国宝なので建築基準法の適用除外なんですけどね。ということでひと安心(?)して長谷寺へ。
ここの見晴らしがいいのは気づきました。たくさん人がいたので。
ご本尊は十一面観音菩薩立像、木造で高さは9.18m。
場所くらいしか調べずに来ているので、境内に入ってからいろいろ気づくのですが、お花が有名なんですね。あやめ(たぶん)がちょこっとありましたが、藤と紫陽花の合間、ちょうど何にもない時期でした…。ところどころにかわいらしいお地蔵さんがいたり、ずらりと並んでいたり、はたまた洞窟があったり。入場料等はタッチパネルで電子決済、売店も充実、ちょっとテーマパーク感が漂います。信仰心のきっかけはそういうもんなんでしょう。
お地蔵さんは穏やかな表情のものが多いですが、彫りが深いのをひとりだけ見つけ、イキって水面側を撮ってみました。
最後は何となく江ノ電の駅を通り過ぎて海へ。
結局ずーっと歩いていたら、飛行機の時間が迫ってきたので駅に向かいます。
歩いたルートはこんな感じ。
この前の晩は皇居の周りを走っていて、24時間で30キロ弱歩いたことになります。暑くない時期なら平気ですけどね。オーバーツーリズムをめぐる報道で、鎌倉ではJRから江ノ電に乗り換えるのに1時間かかる日があったりして、地元の人が乗れないような事態になっていると聞いていたので、歩いて回るつもりではいましたが、今回はさほど混んではいませんでした。
帰りは電車に乗って、稼いだ時間で甘いもの食べてもよかったなぁ…。(A.N)