東日本大震災から既に13年を過ぎましたが、そのときの津波と被害の様相、そしてまちの今の姿について知りたいと思い、今回、宮城県の仙台市と石巻市にある震災遺構を訪れました。
まず初めに訪れたのは、海岸から約700m内陸に位置する仙台市立荒浜小学校です。
この小学校には、児童や教職員、住民ら320人が避難し、地震で発生した津波は2階まで押し寄せました。小学校に避難した全員が無事救助されましたが、近隣地区では多くの人命や家財などに対して甚大な被害が発生しました。
出典:震災遺構仙台市立荒浜小学校 施設案内資料より
※赤い線は写真加工
この時、1階の廊下・教室には、ガレキや車3台などが押し込まれました。下の写真でも3台の車(左下白色・中央赤色・右上銀色)が見えます。
また、2階バルコニーは、これらの漂流物との衝突によって、鉄筋コンクリート製の腰壁が破壊されました。津波について、後日、語り部の方から伺った話の中では、「私が見た津波は砂埃とともに、がれきや車・船が押し流されてくるものでした。」と表現されていました。津波の威力の凄まじさと、津波に飲まれては泳いで助かるものではないことが判ります。
校舎2階は膝高さまで浸水したとのことで、今ではスチール製の棚の発錆状況で、その痕跡がはっきりと確認できます。
※赤い線は写真加工
時計が15時55分で止まっていました。地震が発生した14時46分から、約1時間10分後に、津波が到達しています。展示映像(ビデオ)の校長先生のお話では、震災前は地震発生時の避難場所は校庭としていたが、震災後は屋上避難に変更したとのことでした。
各家庭において、家が無事であって、部屋の中がひっくり返っていても、片付けなどせず、いち早く安全な場所に避難することが何よりも重要だということが判ります。
さて、建築基準法的なお話です。
市の方に聞いた話ではありますが、現在の施設は、従前の小学校(おおよそ7,000㎡程度、別棟の体育館を含む)から、博物館(おおよそ2,000㎡程度、別棟の管理施設を含む)への用途変更の手続きを行い、新たな施設として生まれ変わったとのことです。
確かに、案内のパンフレットでも、立ち入り可能範囲(展示エリア)は、1・2階の一部の廊下と4階の大部分として、全体規模の3分の1程度となったのは確認できます。
ガラス壁を設置するなどによってできたデッドスペース部分を床面積から除いて、博物館として実施可能な施設規模に縮小しているものとして理解できます。
出典:震災遺構仙台市立荒浜小学校 施設案内資料より
※ガラス壁手前は見学エリア、ガラス壁向こう側は立入り不可のデッドスペース
石巻市内に建設された、津波避難タワーも見てきました。
外観的には、一般的な建物のおおよそ4階相当の位置に居室があって、5階相当の位置に屋上がある、といった感じでした。
石巻市役所で入手してきた建築計画概要書によると、
用途は、津波避難タワー
延べ面積、127.56㎡
最高高さ、18.077mで、分かっていますが1階建てです。
実物を目の前にして1階建てですと言われたらなんとも不思議な気分です、、、でも、なんともたのもしい建物です。
おわりに、
震災では、まちなかでも相当な被害があったはずですが、今は、それを感じさせないとても落ち着いたまちに見えました。
マンガロードをぶらぶら歩き、石ノ森漫画館でほっこりして、いしのまき元気いちばでお寿司やお造りを堪能しました。とっても楽しく、とっても新鮮でとっても美味しいものばかりでした。
今度再びここを訪れたら、どのように震災復興とまちの発展が進んでいるのか楽しみです。
また、機会があれば是非立ち寄りたいと思います。
みなさんも、是非、足を運んでみてください。
(T.T)