015針尾送信所(長崎県佐世保市)


近代化遺産を巡るため、2024年7月初旬に長崎へ行ってきました。

まず、訪れたのは長崎県佐世保市にある針尾送信所です。

針尾送信所は1922(大正11)年に旧日本海軍が巨額の費用をかけて建設した無線電信施設で、いずれも大正時代に建てられた無線塔、電信室などの建造物が現存しており、近代化遺産として国の重要文化財に指定されています。敷地内には、3本の巨大な無線塔が1辺300mの正三角形状の配置で建てられています。

現地へは大阪から飛行機で長崎空港まで行き、空港からはバス→電車→バスと乗り継いで約2時間。バスの車窓からのどかな風景を眺めていると、そびえ立つ3本の巨塔が出現しました。付近には高い建物が無いので特に目立って見えます。バス停からアップダウンのあるみかん畑の間の農道を通り抜けて30分ほど歩くと目的地の針尾送信所に到着しました。(現地には見学者用の専用駐車場もあります)

施設には保存会のボランティアガイドの方がおられて、いろいろと説明をしていただきました。

日露戦争後に無線通信の重要性を認識した旧日本海軍は、艦船への通信を目的として東京、台湾、佐世保の3か所に無線局を建設することとしたそうです。そして、千葉の船橋送信所、台湾の鳳山送信所に次いで建てられたのが針尾送信所。建設後は中国、東南アジア、南太平洋に展開する艦隊との通信に使用されたとのこと。なお、建設費用は総工費155万円(現在の約250億円)、無線塔1基あたり30万円(現在の50億円)だったそうです。

3本の無線塔はいずれも鉄筋コンクリート造で高さが約136m、基底部の直径が約12m、コンクリート厚さは約80㎝あり、内部は空洞で頂上に向かって細くなっていて煙突のような構造です。

無線塔が使用されていた当時は頂上に「かんざし」と呼ばれる鋼材が設置されて3本の塔を結ぶ空中線が張られ、それが無線アンテナの役割を果たしたそうです。

3本の無線塔のうち、3号塔は内部が見学できます。塔内に入るとアンテナ線の巻き揚げ機が残されていました。また、塔内部には頂上につながる梯子が設置されていて、昔は近所の子供が頂上まで登って遊んだそうです!

無線塔は形状的に、もし現代の建築基準法の規制に当てはめると、施行令第138条第1項で指定される準用工作物ってとこでしょうか。しかも60m超えなので大臣認定が必要な規模ですね。

現在の建築基準法では煙突や塔状構造物などのうち一定の規模を超える工作物についてはそれ自体が独立した構造体であり、建築物と同様の構造安全性の確保が求められることから建築基準法の一部の規定が準用されます。なお、工作物への準用規定は昭和25年の法施行当初から存在します。そうすると、気になって調べてみました。

建築基準法の前身である市街地建築物法の時代は工作物に関する規定があったのかどうか

当時の市街地建築物法施行規則を見てみると「独立煙突」という規定がありました。ちなみに、市街地建築物法施行以前から針尾無線塔よりはるかに高い鉄筋コンクリート造の煙突はいくつか建てられていたようです。なお、1924(大正13)年改正時の市街地建築物法施行規則の第95条には「高さ50尺(15.15m)を超過する煙突は鉄造又は鉄筋コンクリート造とし支線を要せざる構造となすべし」とあり、現在の建築基準法施行令にほぼ同様の条文があります。他にも当時と現在の施行令で同じような書きぶりの部分があって、煙突に関しても市街地建築物法の一部の規定が後の建築基準法に継承されているようですね。

無線塔に話をもどすと、ボランティアガイドさんの話によれば、無線塔のコンクリートには佐賀県でとれた川砂と川でとれる玉石が使われたとのこと。玉石は1個1個水洗いされ、布で拭いて混ぜたと伝わるそうです。コンクリートの表面を見ると目立ったひび割れもなく、きれいな状況でした。無線塔としての現役生活を終えて、建造後100年あまり経過しますが、まだあと100年はもつのではないかと言われているとのこと。当時の技術力の高さに驚きです。

無線塔を見学した後は、敷地内にある建物「電信室」も見学しました。当時の設備も残されていてノスタルジックな雰囲気を醸し出していました。

続いて、長崎市内に移動して、前から行ってみたかった端島(通称:軍艦島)を訪れました。かつて石炭採掘で栄え、1974(昭和49)年に閉山となった無人島で、明治から昭和にかけて建築された建物が多く残されています。軍艦島上陸ツアーを運営する会社は数社ありますが、今回はシーマン商会さんのツアーを利用しました。

長崎港から軍艦島へは約40分の所要時間です。上陸する時点での長崎市の条例による波の高さの基準をクリアしないと島への上陸ができない、と事前に説明がありハラハラしましたが、当日は無事に上陸することができました。(行ったのは7月5日でしたが、7月に入ってから初めての上陸成功とのこと)

軍艦島には40棟ほどの建物が残っていますが、半数近くは建築基準法が制定された昭和25年以降に建てられたものです。島内の法施行以後の建物は建築確認を経たものもあるのかな、とふと考えながら建物群を見学。上陸前に船で島の周囲を一周しましたが、建物がかなり密集して建っている感じでした。

出典 軍艦島パンフレットより
出典 軍艦島パンフレットより

初めて知ったのですが、軍艦島はすべての建物を含めて世界遺産に登録されているのだと思っていたんですが、登録はあくまで1850年代から1910(明治43)年にかけての「明治日本の産業革命遺産」という位置付けのため、炭鉱跡に残る赤レンガ造りの廃虚とコンクリートの護岸の下にある明治期のレンガ積みの防波堤のみが登録の対象となっているそうです。世界遺産に登録されている建物については、保全のため仮設材で補強されている箇所がありました。

現地は過去にほとんど大きな地震は無かったそうですが、海に囲まれた厳しい自然環境と台風による被害などで、年々崩壊が進んでいるとのこと。日本最古の鉄筋コンクリート造アパート(30号棟)もパンフレットの写真と見比べると、外観上の崩壊の進行具合がよくわかります。最盛期の人々の暮らしに思いを馳せながら古代遺跡のような島の独特の雰囲気を堪能しました。

現在の30号棟
出典 軍艦島観光パンフレットより

あっという間の現地見学でしたが、貴重な歴史遺産に触れることができたいい旅でした。ツアーの記念品として本物の石炭のかけらをもらいますが、航空機には持ち込めないのでご注意ください!(K・M)