いつだったか、城めぐりが趣味だという同僚が、鶴ヶ城にはまだ行ったことがない、と言っていたのを何となく思い出し、会津に行ってみることにしました。
どちらかというと、地形に沿って、継ぎ足しのように増築しているのだけれど、それでもバランスが取れているような、そんな建築が好きなので、シュッとした城にはあまり興味がありませんでした。なので、近くに何かないかなと調べていて見つけたのが円通三匝堂(えんつうさんそうどう)、通称さざえ堂です。でも、私が知らなかっただけで、会津若松市では鶴ヶ城に並ぶ名所のようですね。すぐ近くに白虎隊ゆかりの地があります。
このさざえ堂、建築されたのは江戸時代、蔦谷重三郎の生きている寛政8年(1796年)、高さは16.5mの元・お堂とのこと。「元」とつけたのは、このお堂はかつてこの地にあった正宗寺の仏堂として建築されましたが、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後は個人の所有となっているためです。ということで側面に廻ってみましょう。

なんかすごくないですか?
このさざえ堂、6本の心柱と、6本の隅柱からなる六角形なのです。ひさしも水平じゃないので、非対称。そして、なんといっても特徴的なのが、ぐるぐる登って、ぐるぐる降りてくることのできる通り抜けプラン!一方通行です。そろそろ中に入ってみます。

唐破風の向拝です。竜がはみ出ています。色が違うのは、比較的新しいのか、材質の違いなのか、私にはわかりません。
では、ぐるぐる登ってみます。

足を踏み入れると、すぐに結構急な勾配の斜路が始まっていて、滑り止めに桟が密についています。勾配が写真では伝わりにくいかもしれないので携帯電話のアプリで計測してみると、内側は22°、外側は13°でした。
踊り場はありません。

内側と外側をつなぐ梁に頭が当たりそうだな、とか、手すりあるのね、とか、自火報ついてる、とか、なんだこの穴、とか、キョロキョロしながら登っていたら、登りながらの写真を撮っていませんでした。
で、なぜぐるぐるしているのかというと、廃寺になる前には西国三十三観音像が安置されていて、登って降りてくると、遠く近畿地方まで行かなくても西国三十三所をお手軽に巡礼できてしまうという効率のよい(?)お堂だったとのこと。

で、先ほど独りごちた「なんだこの穴」は、お賽銭シュート。観音様の数、33か所にあり、かつてはお米や小銭を入れる穴でした。下に賽銭箱があって、そこに集められるそうです。これも効率がいいですね。

登りきると、橋のようなものを渡って下りになります。すれ違わずに回れる構造です。天井も立派。梁の交差しているところ、あるべきところに柱がない感じでなんだか不思議です。6本の心柱はいずこへ…。帰ってから調べてみたら、この橋の下で止まっているそうです。伸ばしていくと、六角形の鏡天井にピッタリ合いそう。

では、降りていきます。登りと同じ方向に回っていくので、スロープ同士でぶつかりません。

天井の板は床でもあるので、上を歩いている人の足音がとても近いです。

もう降りてきてしまいました。出口は裏側です。開放廊下を通って最後に正面にひと回り。向こう側に売店が見えます。
ふと気づきましたが、柱が傾いています。またスマホで測ると4°でした。
中の柱はまっすぐだったので、内側に力が集まって安定しそうですね。
斜路はだんだん狭くなっていたのでしょうか。これには気づきませんでした。測りに戻ろうかとも思いましたが、傾きを測っているのを訝しげに見られた気がしたのと、人出が多くなってきたので控えました。
ところで、このお堂の用途は何になるのでしょうか。もとは仏堂でしたが、もう観音様たちはどこかへお移りになられました。お寺自体はもうないですし、隣の神社は無関係のようです。建築物自体に気を取られていたため、観音様たちの代わりに取り付けられているという「皇朝二十四孝」には気づきませんでしたが、おそらく他の訪問者もこれを観に来てはいないでしょう。美術館や博物館でもないですね。物見塔でもないし。とすると、用途はスロープ!?
てことは、近くにあったこれと同じ?

もちろん乗りましたが、こちらも結構な勾配の動く“坂道”でした。
話は戻ってさざえ堂。
不特定多数の利用者がいますが、とりあえずスロープの用途に供する建築物として、階段に代わる傾斜路だけでもチェックしてみましょうか。
幅は75㎝以上はありそう(人目を気にして測ってない)、床は桟があって滑りにくい、手すりもありますが、勾配は13~22°>7.1°(≒1/8)で、高さは余裕で4mは超えますが、踊り場は無し。NGですね…。
でも、あえてここまで触れませんでしたが、さざえ堂は
国指定の重要文化財(指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)です。適用除外です!
よかった!
さて、私が知らなかっただけでとても有名なさざえ堂ですが、キャッチフレーズのように出てくるのが“世界で唯一無二”の“二重螺旋構造”。逆にこれをキーワードにネットで検索してみると、さざえ堂が独占状態です。
一方、“二重螺旋構造”で検索するとDNAが上位です。私も二重螺旋と聞くとまずはDNAを連想しますし、表す言葉としてちょっとズレている気もします。かといって、面白い例えも思い浮かばないのですが…。
それから、本当に唯一無二なのか。どこかにあるんじゃないか、と探してみると、建築物の一部である螺旋階段はいくつもあるものの、螺旋階段(またはこれに代わる斜路)に屋根、壁がついていて、上り下りが一方通行というのは見当たりませんでした。
探していて、比較的、階段の占める割合の高そうなものを見つけました。その名も「夢かなうぶんぶん堂」。大分駅のビルの上にあるようです。何となく心あたりが…。で、思い出しました。何年か前の夏の朝、ランニングしていて、ものすごく広い緑道(というよりは公園)から何かが見えたんですよね。たしか撮ったはず、と思って探してみました。
ありました。これが、夢かなうぶんぶん堂(遠景)です。

こちら、建立に際して奈良・興福寺僧侶によって落慶法要も行われた由緒ある現役のお堂です。堂内には七福神が配置されていて、上りと下りが交わることのない二重螺旋階段があり、頂上には太鼓橋もあるそうです。傾斜路の占める割合では圧倒的なさざえ堂も、うかうかしていられませんね。
こちらも次の機会には、ちゃんと観てみようと思います。
(自分で撮っていないので写真は載せませんが、壁も屋根も格子状なので建築物ではないのかもしれません)

ソースカツ丼を食べに行く前に、遠景を一枚。周りは森なので遠くからは見えません。このあと、先ほど見えていた売店にも立ち寄りました。資料館ではないですが、さざえ堂のオーナーらしき方も登場するコンパクトにまとめられた動画が流れていて、わかりやすかったです。また、大きくはないもののパカっと割れて断面がよく見える精巧な模型があり、架構がよくわかりました。でも、写真撮り忘れました…。
ところでここ会津若松、鶴ヶ城や武家屋敷、東山温泉といった名所があるのですが、宿泊した七日町通りも新しいものと古いものがまじりあって情緒がありました。一旦はどこにでもある商店街と化していたそうですが、外装を基に戻したり、無電柱化したりと尽力の賜物なのだそう。大体は夕方で閉店してしまうので、散歩やランニング、食事をして回りました。



元海産物問屋の渋川問屋。明治初年に建てられたそうです。晩ごはんに会津の郷土料理と地酒をいただきました。


元医院の会津壱番館。明治23年建築。朝ごはんにはちみつコーヒーとホットサンドをいただきました。
タテモノもタベモノも味わえて大変お得でした。
冒頭で触れた、城めぐりが趣味だという同僚には悪いですが、先に会津若松を満喫させていただきました。お城のほかにも見どころの多い魅力的な街ですね。(A.N)